Story
私について
私は愛媛県松山市で生まれ育ちました。小さい頃から歌うことが大好きでしたが、生まれつき薄毛であったことから見た目にコンプレックスを抱えており、人前で歌うことはほとんどなく、大学生になるまではカラオケで黙々と練習する日々を送っていました。当時はL'Arc〜en〜CielやGLAYなどを中心に練習していました。
父が医師、母がアロママッサージ師という家庭環境のもと、音楽の世界への憧れを抱きつつも医療系の道を志すことになり、大学受験では医学部を目指して1年間浪人しました。しかし医学部には合格できず、岐阜薬科大学へ進学することを決めました。
大学では軽音楽部に入部し、高校時代から続けていた硬式テニス部にも所属しました。軽音楽部ではボーカルを担当し、人前で歌うことの楽しさを初めて知りました。この頃はBUMP OF CHICKEN、Mr.Children、B'z、JET、福山雅治などを練習していました。また、大学に通いながら名古屋まで声楽レッスンを受けに通っていましたが、どこか物足りなさを感じていたため、就職先は関東を選び、都会で本格的に声楽を学ぶことを決意しました。
そこで選んだのがVOCAL PLANETです。講師の方がアメリカで声楽を学ばれた先生ということもあり、とても興味を惹かれ入会しました。当時は新社会人として調剤薬局で働きながら声楽の練習も続けていました。基本的なルーティンは、朝は出勤前に近くの公園で発声練習をして、仕事の休憩時間は近くのカラオケで15分だけ練習し、仕事終わりは1人カラオケでマイクを使わずに発声を練習するというものでした。
この頃に取り組んでいた練習は、それまで力んで歌う癖を解消することと、声を全身に通すことでした。「声を全身に通す」というのは私独自の方法論で、口からとても小さく鋭い音を発した際に、最初は口や口周辺でしか響かなかったものを、顔→頭→喉→胸→みぞおち→背中→丹田→腰→手足というように、徐々に全身で響かせられるようにするというものです。大きな声を出せば体に響くことは比較的感じやすいものですが、それを極力小さく鋭い音で精密に行うというのが、この練習の本質でした。
この頃、VOCAL PLANETで課題曲の発表会があり、平井堅さんの「瞳をとじて」を披露してオーディエンス賞を受賞しました。この頃は主にATSUSHI、Bruno Mars、Craig David、NE-YOなどを練習していました。
VOCAL PLANETを卒業した頃から、通勤中や仕事中、他人に聴こえないくらいの小さな音で常にハミングをするようになりました。このハミングを数年続けていたところ、右手の甲がガサガサに荒れてきたため、それ以来やめました。
その後、ギターを始めたことをきっかけに新堀ギター教室へ入会しました。この頃は弾き語りの練習を中心に行っており、秦基博、OASIS、Nickelbackなどを練習していました。ギターの練習を続ける中で左手首にガングリオンができてしまい、手術で切除することになりました。
またこの頃は、友人の結婚式で歌わせていただく機会が何度かありました。ウルフルズの「バンザイ」、斉藤和義の「歩いて帰ろう」、山崎まさよしの「セロリ」、Bruno Marsの「Nothing on You」、GLAYの「春を愛する人」、EXILEの「HOLY NIGHT」などを披露しました。
そして新堀ギターのライブイベントでは、秦基博の「girl」を弾き語りで披露し、ベストボーカリスト賞を受賞しました。しかし受賞が高校生くらいのバンドとのダブル受賞であったこと、また映像で振り返っても満足のいく演奏ではなかったことから、「このままではいけない」と強い危機感を覚えたことを今でも鮮明に覚えています。この後、音大で声楽を教えておられるブラジル人の方にもレッスンを受けました。
ある時、カフェで勉強していると、Ed Sheeranの「Thinking Out Loud」が流れてきました。最初のAメロで美しい声と美しいメロディーに衝撃を受け、すぐに店員さんに「このお店で流している音楽はなんですか?」と尋ねたことを今でも鮮明に覚えています。
薬剤師としてのキャリアについても、この頃から大きな転機が訪れました。最初に入った大手薬局に数年勤めた後、管理薬剤師の経験を早く積みたいと考えた私は、友人の紹介で別の会社へ転職しました。しかしその薬局は、当時の管理薬剤師が門前の病院とトラブルを抱えており、病院が院内処方への切り替えを検討しているという非常に切迫した状況でした。薬局の患者の8〜9割がその病院からの処方箋を持つ方々でしたので、院内処方に切り替えられれば薬局が存続できなくなる可能性がありました。
患者数に対して薬剤師が全く足りておらず、管理薬剤師を含め薬剤師も事務スタッフも疲弊しきっており、門前の医師に気を配る余裕など全くない状況でした。おそらく会社が薬局を開設する際、必要な薬剤師数を確保できる見通しが立たないまま、利益を優先して出店してしまったためと思われます。
入社後数ヶ月で、私はその薬局の管理薬剤師となりました。前任の管理薬剤師は会社が近くに新たに開設した薬局の管理薬剤師に異動となりましたが、現状の薬局がいまだ人手不足で安定していない状況の中、会社は次の薬局を出店してしまっていたのです。
私はまだ20代後半でしたが、こういった環境の中で初めて管理薬剤師を務めることになり、職場のルールづくり、年上のスタッフへの配慮、門前の医師との関係修復など、多くのことに四苦八苦しました。幸い、門前の先生との関係が少しずつ改善され、なんとか院内処方への切り替えは避けることができました。
人員増強を本部へ訴え続けた結果、ある時40代で家族を持つ男性薬剤師が入社しました。しかしその方は、入社後しばらくすると毎日遅刻をしては誰より早く帰り、仕事への不満ばかりを口にするという状況が続くようになりました。こういった方が一人いると職場全体が徐々に乱れていくもので、周りのスタッフにも遅刻や愚痴が広がっていきました。
困り果てた私は副社長に相談しましたが、返ってきた言葉は「ほっとけ」というものでした。当時は薬剤師不足のうえ薬局の立地も悪く、会社としてはそのような人材でも手放せない状況だったのです。私は我慢し続けるしかありませんでした。
そんな私の様子を見ていたマネージャーから何に悩んでいるのか尋ねられ、事情を話しました。するとマネージャーから、その薬剤師に直接注意するよう言われました。副社長から放っておくよう指示されていることを説明しましたが、マネージャーは注意すべきだと言い張り、悩んだ末に私は注意することにしました。
直接的な言い方は避け、「○○さん、契約上の出勤時間はどのようになっていますか?」と尋ねると、「知りません」との返答でした。「では本部に確認してみます」と話し電話を手にしたところ、「では私はこの会社を辞めます」と言われました。結果的にその方は退職されましたが、この一連の出来事で私自身もその会社に居続けることが辛くなり、退職を決意しました。
この経験から、他の薬局ではどのように運営されているのか、管理薬剤師はどのように職場を管理しているのかをもっと幅広く知る必要があると感じ、一つの会社に縛られずに働ける派遣薬剤師という働き方を選びました。その後は借りていたアパートに防音室を設置し、音楽の練習をしながら派遣薬剤師として働く生活を続けました。
しかし数年が経った頃、自分の頭蓋骨が歪んで顔つきがおかしくなっているような錯覚を感じるようになり、仕事を一旦辞めることを余儀なくされました。
仕事を辞めた私は、一から自分の身体と向き合うことを決めました。食生活を見直し、無農薬の玄米、季節の野菜、魚中心の食事、亜麻仁油、カカオ高含有のチョコレート、マヌカハニー、スーパーフードなどを積極的に取り入れるようにしました。運動面でも水泳、筋トレ、ヨガ、ストレッチなどを試し、母がアロママッサージ師であったこともあり、アロマもこの頃から生活に取り入れるようになりました。日々行ったことと体の変化をノートに記録し続けました。
またある時、好きなアーティストが脱毛をしていたことをきっかけに脱毛器を購入して試してみましたが、脱毛後は日光を避けなければならないことが体内リズムを崩す原因となってしまいました。やはり専門家に任せるべきだと痛感しました。
しばらくして貯金が底をついてきたため、次の就職先を関東にするか地元の愛媛県に戻るか迷い、母に相談しました。母から「帰ってきてほしい」と言われたため、地元に戻ることにしました。
— ここから、私の人生の試練が始まりました。
地元の大手企業へ入社後しばらくしてうつ病を発症し、その後統合失調症と診断されました。入院は5回ほど経験し、薬の副作用でしばらく働けない時期や、職場の上司から病気に対する差別を受けるなど、長く苦しい闘病生活を送りました。
近年になってようやく病状が徐々に安定してきたため、音楽を再開しました。現在は音大で声楽を教えておられた先生にレッスンを受けています。
同じような境遇の方のお力になりたいという思い、そしてこれまでの薬剤師経験を通じて感じてきた医療業界の問題へアプローチしたいという思いから、病気と向き合ってきた経験と、薬剤師・音楽・アロマ・精神支援の知識を統合したサービス「KABUAH」として起業いたしました。
私が医療業界の問題として感じてきたことは、主に以下の3点です。
薬局における薬の管理の限界
薬局の運営上、患者様お一人おひとりにかけられる時間には限りがあります。そのため、専門書の内容まで踏み込んだ丁寧な薬の管理が十分にできていないのが現状です。
— 腎機能低下患者への投与量調整
腎機能が落ちてきている患者様は健常者よりも代謝が悪いため薬が効きやすくなり、量の調節が必要になります。その際に使う書籍が「腎機能別薬剤投与量POCKET BOOK」ですが、8社の薬局のうち導入していたのは1社のみでした。ある個人薬局では私の提案で購入しましたが、実際に使っているのはほとんど私だけでした。疑義照会すると必ず薬の量が変わるため、医師側も見ていない可能性が高いと考えられます。
— 健康食品・サプリと薬の相互作用
薬との相互作用については主だった数種類の成分を確認する程度で、「健康食品・サプリ成分のすべて」などの専門書籍を置いている薬局は見たことがありません。サプリを多用する富裕層・健康意識の高い層ほど、この情報が必要にもかかわらず、提供できる薬剤師がほとんどいない状況です。
— 高齢者への薬のリスク説明(ベンゾジアゼピン系・抗コリン薬)
高齢者は代謝機能の低下に加え多剤服用が多く、副作用が出やすい傾向にあります。特に問題となるのが認知機能低下・記憶障害です。ベンゾジアゼピン系睡眠薬には記憶障害のリスクがありますが、基本的に患者様への説明はありません。医師は睡眠確保を優先し、薬剤師は医師との関係悪化を避けるため副作用説明を控えます。抗コリン薬にも認知機能低下の副作用がありますが、同様に説明なしで処方されるケースが大半です。「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」などを実際に使用する薬局はほとんどなく、一人の患者に調べる時間を割けない構造的問題があります。
病院との関係性が生む制約
薬局は病院との関係を無視して運営することができないため、どうしても医師の意図を優先した対応をせざるを得ない場面があります。
精神疾患への薬物療法における課題
うつ病や統合失調症などの精神疾患の患者様、特に初期段階の方に対して、副作用の少ない漢方薬などで対応できる可能性があるにもかかわらず、比較的副作用の強い薬が積極的に使われるケースが見受けられます。特に若年層の患者様が長期間にわたって副作用の強い薬を服用し続けることで、仕事ができなくなるなど、QOL(生活の質)を大きく損なうことが懸念されます。
これらの問題に対して様々な角度からアプローチしていきたいと思っております。
